言わずと知れたフレデリック・フランソワ・ショパンの曲で、とても短いため「一瞬のワルツ」という別名もあります。シューマンと同じ1810年生まれの彼は、リストの紹介で、1836年に男装の女流作家のジョルジュ・サンドに出会います。生涯を通じて病弱(肺結核)であり続けた天才芸術家の彼にとって、ジョルジュ・サンドとの生活はかけがえのない支えとなり、この時期に数多くの作品を作曲しています。
この小犬のワルツという題名は、ショパンの飼っていた犬ではなく、恋人のジョルジュ・サンドの愛犬に由来しています。いつも自分の尻尾をぐるぐると追いかけている小犬の様子をジョルジュ・サンドが曲にしてみたらとショパンにすすめ、彼が即興で作曲したものと言われています。
しかし、1846年頃に完成したこの曲はリズミカルで滑稽な明るい雰囲気ですが、私生活においては、約10年続いたジョルジュ・サンドとショパンの関係は冷え込んでいました。そして、翌1847年には二人は別れてしまいます。この曲にワルツの優雅な雰囲気がよく表れており、暗い雰囲気が全くないのは、ショパンの彼女への気持ちがまだ残っていたからかもしれません。実際、彼は死ぬまで彼女の髪の束と手紙を保管していたようです。破局の原因は、彼女の連れ子(前の夫との子)が原因だということで、なおさら彼女自身への想いが残っていたのかもしれませんね。
小犬のワルツは、抑揚のあるなめらかなメロディと、速いテンポのリズムが交錯し、弾く方も聴く方も飽きさせない有名な曲であり、自分のレパートリーにしたいという要望をよく聞く曲でもあります。初心者には難しいパートがいくつか含まれていますが、全体で2分程度の曲なので、挑戦してみてはいかがでしょうか。
キラキラ星変奏曲♪ モーツァルト
誰もが知っているキラキラ星の歌。きらきら光る♪夜空の星よ♪、twinkle twinkle little star♪、もしくは、ABCの替え歌。そんなフレーズを物の見事に大変身させてしまったモーツァルトの素晴らしさは、筆舌に尽くし難いです。もちろん、天才作曲家である彼の本領は、たくさんの楽曲において証明されていますが、この誰もが知っている曲を一変させ、クラシックファンならずとも、多くのファンを作り出してしまう彼の才能には驚愕するばかりです。
この「キラキラ星」は元々はフランス民謡でシャンソンとして歌われていました。タイトルも「ああ、お母さん聞いて」という恋の歌で、1770年代にパリで大流行して、、この曲を元に変奏曲を多くの作曲家たちが作っていたと言われています。オーストリア生まれのモーツァルト自身も1778年にパリに旅行した際に、「キラキラ星変奏曲」を作っています。元のタイトルから訳した正式名称は「ああ、お母さん聞いてによる12の変奏曲」となります。
変奏曲ですから、「キラキラ星」がどんどん雰囲気を変えていき、最終的にには12回も変化していきます。あのシンプルな音が、どんどん煌びやかに輝きだしていきます。1分を迎える前に突然、曲調が速くなっていくところは、何度聞いても、何度弾いても高揚感を覚えます。トータル12分あるこの曲は、どんどん難しくなっていきますが、第2第4の変化あたりまで弾けると楽しいのではないかと思います。
そもそも、この曲は演奏会用として作られたものではなく、弟子の練習用としてモーツァルトが作ったと言われています。わかりやすいメロディーラインで、練習にはうってつけの曲だと思われますが、やさしいのは最初の方だけですので、最後まで弾くにはそれ相応の練習と覚悟が必要になるかもしれません。ただ、どんどん雰囲気が変わっていく曲なので、弾いていて楽しいと思いますし(モーツァルトの弟子の気分を味わえる?)、友達にお披露目しても喜ばれると思います。
まだ、聞いたことのない方、弾いたことのない方に、ぜひおすすめしたい一曲です。
トロイメライ♪ シューマン
「トロイメライ」は、ベートーヴェン誕生の40年後の1810年に生まれたロベルト・シューマンの28歳の時の作品です。奥さんとなるクララと結婚する2年前のことで、シューマン自身もこの曲集をかなり気に入っていたようです。クララに送った手紙にも「君もきっと喜んでくれるだろう」と書いているくらいです。
トロイメライは、13曲からなる「子供の情景」の第7曲目であり、フランツ・リストをも感動させたと言われています。トロイメライの訳である「夢、夢想」という言葉の通り、幻想的で、ゆったりとした空間に包まれるような曲に仕上がっています。シューマンは後に、子供用の学習ピアノ曲「子供のためのアルバム」や「子供のための3つのピアノソナタ」などを作曲していますが、この「子供の情景」は、子供のための曲集というよりは、過ぎ去った子供時代の心を描いた大人のための曲集になっています。
トロイメライのまどろむようなメロディーは、大人だけでなく、多くの子供をも魅了しています。実際、リストはシューマンへの手紙の中で、娘にねだられ、週に2,3回何度も何度も繰り返し弾いてることを伝えています。
ちなみに、シューマンの奥さんであるクララは、シューマンが師事したヴィークの娘です。シューマンが18歳、クララが9歳の時に出会い、シューマンが住み込むようになってからは兄妹のように過ごしたと言われています。その後、ヴィークに弟子入りしていた別の女性とシューマンは付き合ったものの破局し、いつしかシューマンとクララは恋仲になりました。しかし、その交際は順調ではなく、二人の想いに気が付いたヴィークの猛反対により会えない日々が長く続きました。その間もシューマンは曲をクララに送り続け、そして、クララがそれに応える形で演奏をし、熱愛の末に結婚となったようです。
そんな結婚2年前にクララに送ったシューマンの気持ちを思い起こしながら、ゆったりとピアノを弾くのも大人ならではの味わいかもしれません。
エリーゼのために♪ ベートーヴェン
ミレミレミシレドラ♪
この美しい旋律は、これまで特に音楽に興味をもっていなかったという人にも聞き覚えがあるかもしれません。学校の音楽室から聞こえてきたこのなんとも言えない繊細な曲に思わず足を止めて聞き入ってしまった方もいるのではないでしょうか。
この曲は1810年の作品です。ベートーヴェンといえば、20代の頃から難聴となり、30代の頃からはほとんど耳が聞こえず、40代では全く耳が聞こえていなかったというのは有名な話です。そんなベートーヴェンが40歳の時の作品で、プロポーズの曲だと言われています。
相手は上流貴族のテレーゼという名の18歳のお嬢さんでした。何も好んで22歳の歳の差を選んだわけではなく、テレーゼのお姉さんの婚約者である友人からの紹介であったそうです。テレーゼに恋したベートーヴェンは、意を決してプロポーズしましたが結ばれず、ベートーヴェンは生涯独身の道を歩むことになります。
ベートーヴェンは多くの音楽家の例に漏れず、恋多き男性であり、この時まで何度も身分上の問題で苦い経験をしてきていたと言われています。しかし、テレーゼと結ばれなかった理由は分かっていませんが、親子ほど離れた歳の差が原因だったのでしょうか。それとも上流階級のしきたりに合わなかったのでしょうか。想像は膨らむばかりです。
ただ、この曲のタイトル「エリーゼのために」は、実は「テレーゼのために」と書かれていたのを読み間違えたというのが現在の有力な説となっています。お相手であったテレーゼが持っていた自筆の楽譜をのちに誰かに送ったことからこの曲の存在が明らかになったこともあり、わたしたちがこの美しい名曲を聴けるのも、この数奇な運命のいたずらのおかげかもしれません。
そんな背景を思い浮かべながら、この曲の持つ繊細な調べを弾いてみてはいかがでしょうか。わたしの音楽教室の発表会においても、毎年この曲は弾かれていますが、大人になってからも弾き続けて欲しい曲の一つです。